どうして、こんなにも、胸が騒ぐのか。









 私たちエクソシストに、大掛かりな任務が言い渡されたのはつい昨日のことだ。
 私たちだけではない。サードエクソシストも同行しての任務である。
 正直言って、彼らのことは苦手だった。サードだから、ではない。彼らの思うこと、気持ちがさっぱり読めないのだ。表情からも言葉遣いからも、彼らの心はなかなか透けてくれない。今まで大した関わりもないし、知らないのだから、嫌うのはおかしいと思うのだが。


「アレンと一緒か……よろしくね」


 隣に並ぶ白髪の少年に笑いかける。柔らかな笑みとともに「お願いします」と丁寧な口調が返ってきた。


 アレンについて、リナリー、マリと食堂でたまたま食事を一緒にしたときに少しだけ話し合ったことがある。
 アレンが十四番目と呼ばれるノアであること、中央から目を付けられていること。それらをルベリエから聞き、私たちは密やかに且つ速やかに決めた。


―― アレンを絶対にひとりにしない。


 アレンが内なるノアと闘う覚悟を決めていることは、傍から見ているものには伝わっていた。アレンの強い意志は分かるし、彼が弱くないことも分かっている。私たちが何もしなくてもアレンはうちなるノアに打ち勝つだろうと信じてもいる。だが、それでも、アレンから目を離したくないのだ。これはもう理屈では説明できない気持ちの部分だ。
 アレンが一人で任務に行くことは、最近では全くない。
 正直言って、私たちがそれを願うまでもなく、中央の番犬ことリンクがアレンを見張っているのだから、アレンが一人きりになることはないのだけれど。そうではなく、心までアレンがひとりにならないように、私たちが隣にいる。


「アレン、私は中央の奴らとは違うんだからね」


 アレンは少しきょとんとした表情で小首を傾げていたが、すぐにふわりと顔をほころばせた。


「ええ。ありがとうございます」









 ヨルダン。午前二時すぎ。


―― ワンワンワン!
「いたいよ……いたいよ……」
「たっ、たすげてくれぇーっ。わすの孫がー!」


 最初に悲鳴を聞き、迷わず駆け出したが、その場に着いたときには女の子と犬が一匹、アクマに鷲掴みにされ宙に浮いていた。何も考えずに女の子を握る手に跳び乗って、潮騒を突き刺す。それでも拳を開かないアクマにむっとしながら、もう一度潮騒を振りかぶったときだ。
 人の気配にはっとして、空を降り仰ぐと、イノセンスを構えてこちらに落下してくるアレンが目に映った。ぎょっとして、慌てて抱え込むように女の子に覆いかぶさった、瞬間、踵のすぐ後ろ、アクマの手首がアレンによってばっさりと斬られる。上がる血飛沫が背中にかかるのが分かった。不快感に顔をしかめながらも、宙に放り出された浮遊感に悲鳴をあげる女の子の頭をしっかり抱え込む。


「……アレン、もうちょっと何とかならなかったの?」
「ああ、すみません。あまり、余裕がなくって」


 地面と勢いよく衝突する前にアレンが、斬り落としたアクマの腕ごと私たちを支えてくれたので事なきを得た。


「迷子になりかけていたので、が見つかって助かりました」
「ああ……まあ、私も似たようなもんかも……」
「え……」


 正直、ここがどのくらい陣営から離れているのかさえ分からない。無我夢中で戦っているうち、自分がどの方角にどの程度動いたのか、分からなくなってしまっていた。


「……! アレン!」


 アレンの背後、複数のアクマの影が現れた。私も集中力が切れかけているのか、アレンのすぐそばに来るまでその気配に気がつかなかった。アレンはまるで分かっていたように右手を挙げ、破壊咆哮を発する。複数のアクマは一瞬で破壊された。
 あとからあとから、溢れて来るアクマはきりがない。アレンの今の一撃がそう容易く何発も打てるものとは思えない。加えて、二人の一般人も引き連れている。彼らを庇いながら、どうやってこの窮地を切り抜ければいいのか。アレンと二人、険しい表情で一瞬途方に暮れる。と、そのとき。


「喰われろ、鉄クズ共」


 突然現れたサードエクソシストの二人、トクサとマダラオが彼らの特殊な掌で多量のアクマを飲み込んだ。一瞬だった。


「サード……」


 私が呟いた言葉に、トクサがくすり、と笑う。


「五キロ先でレベル4を数体確認した。我々も疲弊している。退くぞ」


 マダラオが冷静に判断したその傍で、アレンが左眼を押さえて俯いていた。
 大丈夫かと訊ねる意味で彼の肩に手を当てる。僅かに呼気が荒れているのがわかった。


「アレン?」
「おや……アクマ共の魂は苦しんでましたか?」


 アレンの背後、トクサがアレンを見もせずにそう言った。くすり、と再び笑う。


「見物できる貴方がうらやましいな」


 そのあまりに不躾なトクサの発言に、私が息を飲んだのと同時。


「……どう思おうが貴方の勝手ですけど、それ系僕には禁句なんでヨロシクお願いします」
「じゃあ、思うだけにしておきます」


 ガン、とやけに大きな音を立ててアレンの放った拳とトクサの掌が衝突した。にこにこ笑いながら対峙する二人だが、空気はかなり不穏だ。普段あまり見ない、感情を露わにしたアレンの行動に瞠目する。
 アレンを怒らせた理由についてはよく解るので、仕方がないとは思うが。


「……どうも」
「失礼しました。どうも私、使徒さま。見るとイラつ……アクマを滅すると気分が浮かれてしまって」


 トクサはそう言って、大仰に右手を胸元に当てて目を伏せる。


「己の身が神への糧となれる喜びに、心が震えるのです」


 うっとりとしたようにも聴こえる台詞。それに何らかのリアクションを示す暇すらなかった。


 ほぼ音もなく、彼の両腕が斬り落とされた。


 目を見開くトクサの背後。黒く艶めく、一本に束ねた髪を背に垂らした男。その、後ろ姿。


「よう」


 一体、いつのまに、現れたのか。


「ひさしぶりだね、少〜年」


 振り向いた顔は、いやに色男と評価せざるを得ない整った顔立ち。品のある笑顔がアレンに向けられる。
 この顔は、知っている。


「ティ……キッ」


 ティキ・ミック。ノアのひとり。江戸に現れたのもこいつ。


「『14番目』ってのも長えし、少年のままでいいよな。たいした用じゃねぇんだ」


 耳元に心臓があるんじゃないか、というくらい自分の鼓動が煩い。
 唇が渇いているのを感じ、無意識にそれをひと舐めして潤そうとした。舌も渇いていた。


「ただのエクソシスト狩り」


 ティキの声が非情に響いた。


 膝をつくトクサの背後、ティキと同じ褐色の肌の男がふたり現れた。
 額の聖痕とその肌で解る。彼らもノアだ、と。
 すっ、と血の気が引いた気がした。


「……逃げるよ!」


 次にノアが口を開く前に、女の子をさっと抱きかかえて踵を返した。任務中、身を隠せそうな場所は何箇所か確認済みだ。そのうちのひとつに狙いを定め、そちらに駆け出す。バタバタと続く足音から、アレンやマダラオも走っていることがわかった。


「逃すわけねえのに」


 追いかけてくる冷たい声。













「さわるな!」


 トクサの大声が空気を裂いた。驚いて振り返ると、苛立ったように喋るトクサとそれを宥めるアレンの姿が見える。
 私の隣に立つマダラオの顔をそっと盗み見てみたが、その表情は変わらない。
―― マダラオが一番読めないな。
 サードと我々エクソシストはどこか違う。戦い方云々以前に、戦いに対する構え方が違う気がしてならない。
 マダラオの整った横顔を見ながら思案していると、ふいに彼はすっと踵を返してトクサの方へ歩き出した。


「マダラオ、頼みます」


 のこのこと私もマダラオの後ろを着いて行き、アレンたちの傍に立つ。
 口を開くトクサは呼気が荒く、かなり辛そうだ。


「必ず……生き残り、母胎化すると誓って下さい!」

「ああ」


 マダラオはそう短く答えると、武器である左手をトクサに押し当てた。
―― は? なんだこの状況!


「なにしてるっ! 仲間を……っ」


 ガンッ。アレンがマダラオの腕を殴って二人の間に割り込む。真っ当な対応である。


「そうだ、吸収する」

「……はあ? マダラオ、君なに言って――」

「邪魔しないでくれませんかね、使徒さま」

 私の声を、トクサが苦痛に喘ぎながらも遮る。


「なぜ……?」


 焦ったようなアレンの声がマダラオに問う。


「発動できないトクサに生き続ける意味はない。だから、吸収して体内のアルマ細胞を私が引き継ぐ」

「頭がおかしいんじゃないのか、ふざけるな! なんだよ、アルマなんとかって……!?」

「アルマ=カルマ。アクマの卵核と融合し、私たちにその細胞を分け与えた最初の母胎」


 マダラオの説明によれば、アルマ細胞というのはアクマを吸収することで増える。母胎と化したマダラオたちサードはその増えた細胞で新しいサードを生む。そして、世界救済の礎となる。


「それが第三使徒計画だ」

「……黙って聞いてりゃ、碌でもない計画ね。そもそも、生き続ける意味がない、なんて聞き捨てならない」

「イノセンスに選ばれ軽々と使徒になった貴方たちにはわからないでしょうがね……」

「! そんな……」

「私たちがこんなにも! 世界を、救いたいと思う気持ちなど……」


 トクサが苦しみで顔を歪める。その苦しみは、身体的なものか、精神的なものか。彼の細められた瞳から涙が頬を伝うのを、半ば呆然とした面持ちで眺める。私たちエクソシストに、彼に答える言葉など有るのか。


「邪魔をするな! 今の私の最期の願いは吸収されマダラオの一部となること……ノアに殺されて終わりなんて、まっぴらご免なんですよ!」




「安心おし……お前たちを終わらせるのは僕たちじゃない」




 唐突に現れた優しげな声。伏せられた瞳。柔和なその表情。


「………っ!?」


 前触れもなく、全身に走る痛み。跳ねとぶ身体。


「お前たちを終わらせるものの名を教えてあげようか。それはお前たちの――」


 バキン


 骨が折れる嫌な音。


 跳ばされた身体を起こし、右手を構える。


―― 潮騒発動




「トクサっ!」


 一番始めにノアに捕まったトクサが、そのノアと一緒に方舟に吸い込まれて行く。すぐ隣でアレンがイノセンスを発動させ、ティキに猛然と向かって行く。ティキは薄い笑みを湛えて、さっと後ろざまに跳ぶ。愉快そうに。ティキの背後には、先ほどトクサが消えて行った方舟のゲートが。


「チッ……アレン!」


 誰かさんそっくりな舌打ちがつい出てしまう。マダラオを一瞥したが、彼はこちらの状況に気づいていない。サングラスのノアと戦闘中だ。
 アレンの攻撃を躱しながら、ティキは方舟へ近づく。―― アレンをひとり行かせるのは得策ではない。
 もうひとつ舌打ちをしてから、全力でアレンを追った。






 それが正しい選択かそれとも誤りだったのか。それは随分後になっても判っていない。





会えない人の知らない顔



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