『―― ねぇ、起きてる?』





 我々、つまり私とアレンとロードの三名が目にした神田の記憶とアルマ=カルマの記憶は、柔らかな思い出と酷く冷たく胸を裂くような出来事との記憶だった。九年前の小さな私も一瞬登場したが、今も昔も、さして変わっていなかったことに気づいて少し嗤えた。


 いつまで経っても神田を救えやしないのだから。





「いつもの短ッッッかいキミのド短気は、どこ行ったんですかー!!」


 過去の記憶に容易く介入されて、それでも何もしない神田にキレた(と思われる)アレンが神田の額をイノセンスの左手で殴った。おかげでロードも私も神田の記憶の世界から現実に戻ってこれたわけだが、私はまだ心を神田の記憶の中に残してきたかのような気分だった。頭の中に靄がかかってるみたいにぼんやりとして、それなのに、幼いアルマと神田の泣き顔が鮮やかに脳裏に残っていて。苦しいのは私ではなく当人であるはずなのに、何故だか胸が酷く痛む。


「でもちょーっと遅かったかもぉ〜」
「え?」


 ロードの欠片も残念に思っていないような声が耳に届いた。私もアレンもハッとして、瞠目する。


「ウォーカー!」


 響いたトクサの声にさっとアレンが振り返ると、彼の目の前を導管に絡め取られたトクサの姿が過っていった。アルマ=カルマから伸びるあの導管である。


「トクサ!」
「アルマ=カルマをとめろぉぉぉ!」
「うわっ」


 叩きつけるように降ってきた生き物のような導管を身を翻して躱す。頭の中の靄が一息で晴れ、厳しい現状が脳内に速やかに伝達される。非常にまずい。やばい。トクサと同じように導管に絡め取られた人たちが呻いている。


「みんな……っ!」


 叫び声が聴こえる。絶え間無く響き、とても息苦しく感じるような叫び声。


 アルマの憎悪が目覚め、それが卵核のエネルギーに変換されているのだ。このままでは、彼は、完全にアクマになってしまう。


「そんな……!」
「アルマ!」


 状況を私とアレンが理解した途端のことだった。
 カッと閃光が辺りを照らした。同時に世界から音が抜け落ちたかのような錯覚。次いで、途轍もなく大きな衝撃音。已む無く崩れ落ちるその瞬間、人影がさっと私を覆ってくれたように感じて、吃驚した。


「トクサ!?」
「早く、そこの、ウォーカーを……起こして、くれませんか、ね?」


 間一髪のところで印を結び盾になってくれたのは、怪我をして瀕死のはずのトクサだった。切れ切れに訴える彼が本当に辛そうで、私は後ろに倒れるアレンを慌てて起こしにかかる。


「あ、アレン! アレンってば!」
「う……」


 呻き声をあげてゆっくりと身体を起こしたアレンがトクサを視界に入れて目を見張る。トクサは苦しそうにひとつ咳をすると、崩れるように倒れた。


! これは……まさか、盾になったんですか!」
「ふ……『使徒さま』が減っては戦争に不利になりますからね……」
「……バカ……っ」


 トクサの肩を支えるアレンの声が湿っぽくなる。


「アレン?」
「……守れなかった」
「……」
「ジョニーさんやリーバーさん達を……支部のみんな……僕は助けられなかった……」


 驚いたことにアレンはぼろぼろ涙していた。
 彼がこんな風に泣くのを、初めて見た気がする。私たちが見てきたのはいつだって気丈に笑う彼ばかりだ。彼の悔しさが身に染みて分かるから、私は何も言えなくなる。


「なんでこう、僕は……いつも守れないんだ……」
「ムカツク!」


 横たわったままのトクサが片足をあげてアレンの側頭に鈍い音を立てて膝を打ち付けた。突然膝で殴打されたアレンは打たれた頭に手を当て、呆然としているようだ。


「うぬぼれないでください。誰も死なない戦争なんてないんですよ。
 それに使徒の力は人を守護るものではない。使徒にしか破壊できぬものを破壊するのがあなた達の使命!
 目の前の命をいくら守ったところで世界は救われないんですよ」


 凛とした声でトクサが言うから、咄嗟に反論する言葉が出てこない。しかし、一理ある。目の前の命をいくら守ったところで、大いなる敵を破壊しなければ、いつまで経っても世界は救われないままだ。我々が長年の戦争に終止符を打てないでいるのも、結局はそういうことである。


「うっ……」
「トクサ!?」
「ちょ、大丈夫!?」
「何でもない! ……それに、守護は元鴉の得意分野です……」
「……え?」
「! トクサ……」


 アレンの耳に付けた通信機にジョニーから無事を伝える声が届く。アレンは戸惑いながらもトクサを見つめた。驚くべきことに、トクサは他所にいる教団のメンバーにも札を飛ばして守ってくれていたのである。感極まって何と声をかけて良いのか分からず、アレンも私もぱちぱちと瞬きを繰り返して彼を見つめるだけだ。


「トクサ……」
「別に……サードとして、当然の……ッ!?」


 やにわにトクサの左腕が牙をむいた。牙をむいた、とは比喩的表現ではない。彼の腕から複数の口が現れ、それらはトクサとは別の意識を持って暴れ出したのだ。


「トクサ!?」


 巨大化していくそれが、アレンを突き飛ばす。打たれたアレンは柱に衝突して苦しげに呻いた。


「アレン!」


 トクサを呑み込まんばかりに大きくなったそれは、アルマとよく似た顔になっていく。おそらく、アルマがアクマ化したことで共鳴したサードの体内の細胞が暴走し始めたのだ。


「いやだぁ、マダラオッ、助けてくれマダラオーッ!」
「フフフ……呼んでも無駄デスよ第三使徒」
「なん……伯爵!?」
「お前達は皆アルマ=カルマと共に葬られる運命なのデス。―― エクソシストの手によッテネ!」
「な……何言って……!?」


―― 《破滅の爪》!


 トクサの悲鳴。アレンの左手が彼自身の意思とは無関係に発動し、トクサを襲ったのだ。貫いたほうも貫かれたほうも驚愕に目を見開いている。無論、私もだ。


「やめろ、神ノ道化! 止まれ……止まるんだ!」


 装備した右手の指輪、潮騒が熱い。恐らく、アレンと同じように勝手に発動しようとしているのだろう。意識して右手の握り拳に力を込めた。


「私を……破壊するのですか……?」
「ち、ちがうっ、トクサ」
「神は我々を敵と見なしたのですか……?」
「トクサ!」


 止めようと手を伸ばす。


「くっ……この……ッ!」


 アレンと同じように勝手に潮騒が発動して槍の形状になった。思い通りにならないイノセンスに忌々しく舌打ちを零す。
 サードエクソシストの存在自体はあまり肯定的には思えないし、彼らの考え方もなかなか受け入れ難い。けれど、ここで私たちが彼を討っていいはずがない。それだけは、確かに分かるのだ。
 暴走するアルマの細胞によってトクサが私たちに襲いかかって来る。潮騒の柄の部分で攻撃を必死に受け止めて、必死で反撃しないように集中する。アレンもトクサを傷つけまいともがいているのが分かった。
 トクサの攻撃を防いでいる腕が震える。押し負ける前に後ろに跳びずさり、距離を取る。
 広がった視野に入ってきたのが、少し離れた所にいる神田とアルマだ。


「なんで……神田……ッ!」


 二人は思いっきり戦い合っていた。つい今しがた、ノアの能力によって見せられた神田とアルマの過去の映像が眼裏に浮かぶ。あんなに、親い合っていたのに。けれど、確かに、二人が傷つけあって別れたのも事実だ。
 それでも、これ以上傷つけあう二人を見ていられなかった。


「神田! こらっ!」


 思わず、走り出した。神田に斬りつけられたアルマが血を吐く。そのアルマに向かって更に振り下ろされる寸前の六幻を潮騒で受け止めた。


「……テメェ、何してんだ
「こっちの台詞!」


 渾身の力で以て神田の六幻を横に払う。一瞬怯んでよろめいた神田だが、瞬く間に体勢を整えて私の方を、親の敵かと思うくらいの鋭さでにらんできた。こんなに険悪な表情で凄まれたのは初めてだろう。


「退け。テメェの出る幕じゃねェよ」


 低く告げられた言葉に、ぐっと息が詰まる。それでも引き下がるわけにはいかなかった。


「神田、あんたこれでいいと思ってんの?」
「馬鹿言え」


 当然だろ、言外にその表情が語るので、私はもう自分が正しいのかどうかさえ分からなくなる。良いのか、このままアルマと神田を戦わせていても。良いのだろうか? 本当に?


「……お前、何? ユウのトモダチ?」


 ぞくり、と背筋が震えた。聴こえた声に込められていたのは、猜疑心と嫌悪感、暗く冷たい感情だけ。
 さっと振り返ると、口元を血で汚したアルマが瓦礫の中からゆらりと立ち上がっていた。見つめられる目に思わず慄く。


「……アルマも。伯爵の思うつぼだ、こんなのは」
「お前何、って聞いてるんだけど」


 アルマが徐に右の手のひらをこちらに向けてくる。何となく、危険を察知するより早くアルマがその手の平から電気の砲のようなものを放った。もちろん、私に向けて。受ければ死ぬ。漠然とそれだけが脳内に浮かんだ。
―― 死に物狂いで避けろ。
 次に浮かんだのはそれだけ。右に跳ぶか左に跳ぶか。とにかく何も考えずに、避けることのみ考えて、跳んだ。
 着地点の足元に砲弾がぶち込まれ、地面が揺れる。無様に転ぶ。地面に両膝をつく前に、右腕を力強く引っ張られた。身体が半端に持ち上がる。


、頼むから、ちょっと離れてろ」


 振り向いて視線を上げた先にあった神田の表情に、胸の奥がぎゅっと痛くなった。
 どうして、こんな、なんで。
 上手く気持ちが言葉にならない。


「しなないで」


 震えた喉に、自分が声を発したことがやっと分かるくらい、縋るように情けなくて弱々しくてみっともない声だった。掴まれた二の腕を、ただただそのまま繋いでいて欲しい。このまま時が止まればいい。一秒たりとも経過して欲しくない。


「……悪りぃ」


 身体が宙を舞う。自分が怒りたいのか泣きたいのか、何を考えていいのかも分からなかった。



そばだてた耳が震えてる



(13/03/10) Next→