神田の部屋には大きな窓がある。
無人のベッドに腰掛けて、その大きな窓から見える遠くの月を飽かず倦まず眺めていた。一体いつからこうしているのかはわからない。あるべき主人の姿のない部屋でひとり、その人を只管待っている。
次第に月が欠けていく。まん丸の満月だったはずのそれは、見る見るうちに半月になり、下弦の月になり、新月になった。部屋の中が暗くなる。
何処からか、さざなみが聴こえてきた。
ベッドを降り、窓に近寄る。波音だけが響く恐ろしく静かな夜だ。本来なら夜遅くまで作業をする団員のおかげで、どんな時間帯でも何かしらの物音がどこかしらから聞こえるはずなのだが。
「」
唐突に、名を呼ばれた。窓の外からその声はした。しじまを切り裂いて鼓膜を震わせるその声は、確かに知っているものだ。いや、知っているどころじゃあない。
私はいつだって、この声のもとへ向って生きてきた。一直線に、ただ、只管に。
「神田」
君を、生かす為に私はきっと生きている。
◇
神田によって戦いの中心から弾き飛ばされたが、俺たちの近くまで転がってきたので慌てて駆け寄った。頬に大きな擦過傷が付いている他、腕や足などの衣服で覆われていない部分が痣やかすり傷を負っていたが、致命的な怪我はなさそうだ。ひとまずほっと息をつく。打ち所が悪かったのか、軽く意識を失っているが呼吸は正常だから直に目が覚めるだろう。
そっとしておきたかったのだが、彼女は身を裂かれるような電撃の攻撃によって、手荒く起こされてしまった。
「……っ! えっ、リーバー……!? 痛っ……」
起きてまず、俺たち科学班メンバーが近くにいることに驚き、そして自分の身体に走る痛みに驚いたらしい。頬についた大きな擦過傷(主に神田に投げ飛ばされた為)に気づいてさらに驚いているが、さすが鍛えているとでもいうか、俺たちよりは元気そうだ。
「……目が覚めちまったか」
「いだだだっ……何これ、電気? 皆だいじょう、ぶじゃないね!」
振り返って漸く状況を確認できたらしい。自分にも走っている電撃をものともせず立ち上がると、発動したままのイノセンスをグッと強く握りしめた。
「電撃……純水なら……」
ぶつぶつ呟いている言葉にハッとしてを見上げる。何をやろうとしたか分かった。が、まだそれは一度も戦場で成功していない業だ。
彼女はアルマのいる方向を睨みつけると、その手の大きな槍を地面に突き立てた。
途端、大きな水の膜が壁のようにその前にそびえ立つ。一見、氷のように見えるが不思議なことにそれは凍っているわけではない。薄い水のカーテンが、暴走するトクサと俺たちに境界線を作った。
俺たちに走る電気の攻撃が弱まる。全て遮断されたわけではないが、随分と楽になった。
「皆、この壁に触っちゃだめだよ。感電するかも……って言っても、あんまり動ける人もいないだろうけど」
碧く発光する《潮騒》を慎重に地面から離し、それでも水の盾が消えてしまわないのを確認すると、は安心したように息を吐いた。
彼女の細い顎に汗が伝って落ちるのが見えた。この業は、に多大な負担が掛かるのだ。
「他の人たちは?」
「あっち……俺は全て把握、できてるわけじゃねえけど」
「分かった」
ひとつ、大きな深呼吸をしたは水の膜の向こうを視線をあちこちに移動させていたが、すぐに地面を蹴って走り出した。
「!」
彼女の作った大きな水の壁は彼女をとおり抜けさせる。彼女は一度振り返ると、崩れなかった盾を確認して安心したように笑った。そのまま、一目散にどこかに駆けていく。
「!」
◇
「ジョニー!」
「!?」
倒れ伏しているジョニーに駆け寄る。さっきの要領を頭に思い浮かべながら、手早く水の盾をジョニーの前に作った。
頬の傷に汗が染みて痛い。
「僕はいいんだよ……それより、アレンが……!」
「アレン……!」
ジョニーの視線の先、暴走し続けるトクサのアルマの細胞がアレンを握りつぶすように掴んでいた。空に浮くアレンの足があり得ない方向に曲げられている。
「伯爵……あの野郎……」
「なんで……っ、なんでそんなにアレンを連れて行きたいんだよ……っ」
起き上がったジョニーが、伯爵のいる方、遥か高みを見上げて叫ぶ。心が張り裂けるような、悲痛な声だった。
「アレンが……?14番目"のノアだったとしてもっ、あんたを殺そうとした敵じゃないのかよぉっ!?」
きっと、教団のアレンの仲間の全員が考えていたことだった。ジョニーの言葉が胸に刺さる。唇が戦慄いた。――どうして。どうして、あんなに優しい少年を。
《……》
《「ナゼ」……?》
《そばにいたいカラ》
《我輩は14番目のそばにイタイ……》
――静寂。
一瞬ののち、それを切り裂くようなバクの声が響いた。隙を見たバクが血に仍て、フォーを召喚したのだ。
「よかった……アレン……」
遠くにいるアレンの声は聞こえない。けれど、フォーの張った護りの中で少しは立て直せたようだった。
「ジョニー、皆のところに集まって……この盾、できれば一か所で張りたいから」
「う、うん」
「肩を貸すから……立てる?」
さほど離れていないが、一か所に固まってくれた方がこちらとしては大助かりだ。
この業を二か所で発動し続けるのに、そろそろ限界を感じていた頃だった。
ジョニーに肩を貸し、リーバー班長達のところに移動する。数十メートル程度しか離れていなかったので、すぐにたどり着いた。たどり着いた先の盾がまだ機能していたのでほっと息をつく。
「大丈夫か」
「うーん、まあ、なんとか。少なくとも皆よりは元気だよ」
護りを強くするためにもう一度盾を張りなおす。リーバー達も何人かは起き上がれるほど回復していた。
「アレンは……」
「フォー!?」
重たい大きな音がして、慌てて上空を見上げたら、ティキミック卿の攻撃によってフォーが傷つけられて落下していた。
上空では残ったアレンにティキが手を差し出している。
「心は決まったみたいだな、少年。さ、あんま千年公をジラしてやんなよ」
「バカヤロォ、怖気づきやがって……」
「フォー!」
駆け寄ると、フォーは起き上がりながら悔しげに言葉を零した。呼吸が荒く、背中にはティキによって受けた傷から多量の血が流れている。
「人間なんてのは、それぞれ何か、抱えて、生きてんだよ……望みも……っ、守りたいものも、みんな違う」
「フォー……」
フォーの言葉にアレンがこちらを少し振り返る。フォーは苦しげに肩で息をしながら、それでもアレンに届くように大きな声で叫んだ。
「誰かを助けるっていうのは……そんなカンタンじゃねェんだよ! 決めつけんな、バカ!」
響いた声にアレンも、そして私もハッとさせられた。
九年前の惨劇。それを、フォーも身に染みて知っている。あの時の痛みを抱えている。大切な人たちを失う悲しみも、救うことのできないもどかしさも。
が、それについて何か考える暇もなく、「うるさいって」と笑ったティキが放った攻撃が真っ直ぐに私たちの方に向かって飛んできた。
「フォー!」
フォーを咄嗟に庇い、抱き込むようにして身を伏せる。フォーから流れる血が私の衣服を濡らす。
私のイノセンスではとても太刀打ちできない。
それよりも、フォーを。仲間の命を。
だが、覚悟した痛みは来なかった。代わりに、それを弾き飛ばすような大きな音。
「アレン!」
いつの間にか、アレンが私たちの目の前に来てその大きなイノセンスで攻撃を弾いてくれたのだった。大きな噴煙が辺りを漂う。
「カンタンじゃない、か……」
ゆらりと立ちはだかるアレンの様子は、どことなく、また覚悟を新たにしたような。
「できるかな……? 助け、られるかな……」
「そんなのわかんねェよ!」
言葉に詰まったフォーが叫び返す。フォーらしいなあ。アジア支部の守護は不器用だけどとても優しい。聞いていて、思わず笑みが零れた。
そうだよ、"わかんねェ”んだ。わからないけど、
「わかんなくても、やるしかないんだよアレン」
「……はい!」
随分と久しぶりに、アレンらしい笑顔が見れたような気がした。
闇を焼け
(14/06/13)
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